Heart Tree

心は何からつくられるかの考え事

思考と行動

最近、分子栄養学を学んでいる過程で

「食」に興味を持ち

そこでビーガンという言葉に出会いました。

はじめて聞く言葉ではないのだけど、漠然と

ベジタリアンより強力に菜食主義を守る人たちのことを言うのだと思ってた。

 

でも、現時点で調べ知った、ほんのわずかな知識だけでいうと

それは違っていました。

 

「脱搾取主義」という言葉が当てはまるのだと思います。

ビーガンは、搾取をしない。

動物を始め、環境や人、あらゆるものから。

 

人間は矛盾の塊であるから、何をするにも

どんな主義理想思想を抱えて行動しようとするにも

どこかに綻びがあり、ちぐはぐさは掘り起こせば必ず出るものだと

思っている部分があります。

 

ただ、具体的に搾取とは何かを知ると

自分自身その大きな黒い流れに加担している事実にショックを受けました。

 

動物からの搾取、

これは多分「肉食」という行動が一番に上がるのだと思います。

 

まず初めに知ったのは、肉食をすることは

人間の体にとって、とくに日本人の体には向いていないということ。

(もちろん、タンパク質やビタミンなど人間に必要な栄養素も含まれていることは確かです)

もともと穀物を食べて生活していたから、歯の形や腸はそれに適した形体をしています。

歯は平たく、植物をすり潰すのに適しており、腸は途方もなく長く

消化しにくい穀物や葉、木の実をゆっくりと体に負担をかけずに分解できるように。

肉を食べた場合、長い腸の中でそれが停滞することにより腐敗する事があります。

 

それでも肉食をする、というのは多くの場合

機能面というより、それが好きだからという理由が大きいのかもしれません。

しかし、嗜好品として肉食をするにはあんまりにも世界に負担をかけ過ぎているということを知りました。

今、私たちに届けられる肉は食肉工場というあんまりにも機械化されたシステムの中で生み出されているそうです。

動物たちは、一つの命として生まれ、その過程で食されるのではなく、ただもうすでにこの世に生み出される地点で肉。

そこは初めから最後までとても残虐で劣悪な環境。

いくつかのドキュメンタリーや、報告を見て

(これらはもしかしたら100%完全な事実ではないかもしれません。もしかしたら

何か別の人間に利益になるような仕組みがあって、そのための広告なのかもしれません。

なんというか…目にする全ての情報には隠されていることが今の世界には多すぎて

何もかも鵜呑みにすることはできないとも思うし、いつも誰かがどこかで誰かを騙そうとしているように思えてしまう…

それでもある側面では、ここにあった映像などの記録は事実だと思わざるを得ないものもありました)

こんなことって、現実に、宇宙のセオリーとして存在するのだろうか?許されるのだろうか?

人のしでかすことは、いくところまで来てしまっていると痛いほどに感じました。

これはきっとただでは済まされないと思うのに、その中心に佇んでいるのは間違いなく自分自身です。

 

また、飢餓で苦しむ人間は今この瞬間もいます。しかしおかしなことに、生産される穀物

十分に世界中の一人一人に行き渡るほど生産できているそうです。

それなのに、平等に分け与えられる事がないのは、その穀物の大半は畜産の飼料として消えていってしまっているから。

さらにこの飼料を作るため、自分たちの食糧のためにつくっていた個人の畑を企業が奪い取っています。

または、広大な森林を消し去って工業農場がつくられる。アマゾンは今ではもう過去の30%しか残っていません。

 

そして、食肉の為だけに成長ホルモンや抗生剤を大量投与され生産された牛たちは

温室効果ガスの一つであるメタンを大量に呼気から排出します。この排出量は今では自動車工業に匹敵するほど。

そして本来草食の牛たちに、安価で豊富に生産できる穀物のみを与え続けた結果

彼らの腐敗した劣悪な腸内から、猛毒の大腸菌が無数に発生しているといいます。

また、食肉用の鶏たちは生まれてすぐ選別され、必要でないと判断されたものたちは即時に生きたままシュレッダーにかけられ

(彼らは産まれて間もないですが、仲間の体が切断され殺されていくのを見て、極度に怯え、逃避行動を示し、泣き叫びます)

残ったものたちも箱に詰め込まれ、身動きのできない鶏舎に押し込まれ

牛と同じように多量の穀物を一気に与えられ

従来の半分の期間で急成長を強いられ、立っていられないほど、動けば激痛が走るほど急激に太らされ(歩いただけで、心筋梗塞で亡くなることも多く、重さに耐えきれない大腿骨頭は壊死して砕けてしまう)

外の光を浴びることもないまま、再び箱詰めされ屠殺されます。

ここに書いたことは、ほんのわずかでしかなく

探せば探すほど

自分とは一体何者なのだろうと、苦しくなります。

 

そしてこれらは全て、私たち先進国の人たちがただ嗜好品として肉を食べたいが為に行われている事です。

私たちの需要を満たすためだけに繰り返されている。

 

この場所には、今立っている場所には一体幾つの名前と意味があるのでしょうか?

 

ただ、今この瞬間から何を行動変容すべきなのかは

ほとんど分かりません。

何をするにも矛盾が多すぎ、それなのに知識も情報もあまりに少なく一方的だからです。

 

動物性製品は、あらゆる部分で生活の多くを担っています。

食材としてだけではなく、調味料などの添加物、サプリメントや医薬品、化粧品

身につけるもの…ほとんどの物に動物由来の何かが含まれています。

 

ビーガンは搾取をしない。

それを完全に実行するためには、それを選ばず他の何かを選ぶことのできる

恵まれた選択肢を持っていることがそもそも必要になります。

それはもしかしたら、物質的な裕福さかもしれません。

 

ショッキングな情報が感情を刺激すれば

咄嗟に走り出すことは、多分誰にでも可能だと思います。

最初の数メートルは。

でも、そのうちにあらゆる壁や矛盾に直面して

倫理的不協和の中で溺れてしまうでしょう。

 

一歩歩くごとに、どこかで何かを、誰かを搾取していることに気づくから。

 

自分がこのいくつかの情報に触れて

今、完全にショックを受け

そしてその上で何を考えているか?

きっと多分、今後肉を食べることを減らすのかもしれません。

感情的で短絡的で、そしてただ動物を無責任にもとても愛している側面があるからだと思います。

でも、この行動はあまりに小さく

そして何にもつながりがない。

同じ速度で、いや、より早急にすべきことは

学習することだと思います。

あらゆる角度から、終わりのない矛盾について。

自分の体をより深く知ることも必要です。何で出来ているのか。

どの様なビタミンやミネラル、分子で構成されているかということ。

それにはどの様な個人差があって、それぞれの必要量はどれだけかということ。

その上で、生命、健康を維持するために、そして地球をこれ以上傷つけないために何を食べるか考えること。

肉は何で代替することができるのか。

不足する栄養素は何か。健康とは何か。食事に感謝すること。

決して多くを食べすぎたりはしないこと。

 

 

その先に何が見えるのか

搾取して生きるサイクルはとても深いところまで構築されています。

動物倫理、肉食は性的搾取、フェミニズムにも繋がる部分を持っていること、そして貧困を生み出す搾取、マイノリティからの搾取、環境や物質、資源からの搾取

 

ポジションは声高に誰かに言うものではなく

求めるものでもなく

属するための思想でもなく

そして別の足並みを蔑み傷つけるものでもなく

ただ自らが、

知る必要性、そして行動を決める必要性

 

 

今考え得るこのどれもが、問題の核心からかけ離れている様に感じるし

不足しすぎていると感じます。

 

自分で作ったお手製の

あまりにも幼稚な地図に、小さな記号を書き込んでいく。

死ぬまで。

この世界で人がなす全ての事は

すでに始まっていく所までいってしまった

取り返しのつかない道

その正確な地図を作り続ける必要がある。

どこを歩き、どこを歩かないのか?

あるいは、どこを歩いていたのか?

 

でも多分

それでも足りないんだと思います。

 

f:id:ellesky28109:20210111144816j:image

 

 

読んだ本は今のところ脱搾取主義側のものばかりです。反対の側面からの情報を今探しています。